インドラヴァルマン1世
この項目では、チャンパ王国の君主について説明しています。クメール王朝の君主については「インドラヴァルマン1世 (クメール)」をご覧ください。 |
インドラヴァルマン1世 इन्द्रवर्मन् १ | |
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チャンパ王 | |
在位 | 786年 - 801年 |
死去 | 801年 |
王朝 | 第5王朝 |
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インドラヴァルマン1世(サンスクリット語: इन्द्रवर्मन् १, ラテン文字転写: Indravarman I, 生年不詳 - 801年)は、チャンパ王国(環王国(中国語版))第5王朝の第3代国王(在位:786年 - 801年)。『唐会要』では因(ベトナム語: Nhân)と記される。
生涯
サティヤヴァルマン(中国語版)の弟[1][2]。兄王の死後、王位を継承した。当時の唐は朱泚が起こした涇原の兵変(中国語版)の余波によって南方を顧みる余裕がなく、その間隙を突いて安南都護府の管轄する驩州・愛州に侵攻した。当時のチェンラは陸真臘と水真臘に分裂していたが、これに乗じてチェンラにも侵攻するなど盛んに外征を行った。
787年、ジャワの海からやってきた賊(ダラニンドラ(英語版)治下のシャイレーンドラ朝か)によって王都ヴィラプラ(中国語版)の西方にあったバドラディパティシュヴァラ(現在のファンラン=タップチャム付近)の寺院を破壊されて[1]宝物を奪われ、その地にいた戦士や奴婢は皆殺掠された。793年10月には第4王朝(林邑国(中国語版))のルドラヴァルマン2世以来43年ぶりとなる唐への朝貢を行って[1]犀牛を献じている。799年、インドラヴァルマン1世は3つのカラン(ドイツ語版)を新たに建造してバドラディパティシュヴァラの寺院を再建し[1][3]、インドラバドレーシュヴァラ、シャンカラ、ナーラーヤナを祀った。
インドラヴァルマン1世の死後、王位は妹婿のハリヴァルマン1世が継承した[4]。
出典
参考資料
- George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681
- Sailendra Nath Sen (1999). Ancient Indian History and Civilization. New Age International. ISBN 978-8122411980
- Geetesh Sharma (2010). Traces of Indian Culture in Vietnam. Rajkamal Prakashan. ISBN 978-8190540148
- 『唐会要』巻九十八 林邑国
- 『冊府元亀』巻九百七十二 朝貢第五
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林邑国 192-757 | |
環王国 757-789 |
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占城国 860–1693 |
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