大竹勇

大竹 勇(おおたけ いさむ、1882年明治15年)2月13日 - 1950年昭和25年)2月25日[1])は、日本の裁判官弁護士台湾総督府官僚

経歴

福島県大沼郡赤留村[1](赤沢村、会津高田町を経て、現在の会津美里町赤留)出身。1907年(明治42年)、東京帝国大学法科大学を卒業。司法官試補、新潟地方裁判所・新潟区裁判所検事富山地方裁判所・富山区裁判所判事、名古屋区裁判所・名古屋地方裁判所判事を歴任。1916年大正6年)、台湾総督府法院判官に転じ、台北地方法院判官、台中地方法院判官を務めた。1921年(大正10年)、台湾総督府税関監視官・税関事務官に転じ、台南州内務部長、台湾総督府税関長を経て、1929年(昭和4年)に澎湖庁長に就任した。

1931年(昭和6年)に退官後は台湾青果株式会社社長を務め、退任後は東京世田谷区[1]で弁護士を開業した。

脚注

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出典

  1. ^ a b c 『福島県史 第22巻』114頁。

参考文献

  • 「大竹勇ヲ同仁会本部ニ傭聘ノ件 昭和十二年九月」 アジア歴史資料センター Ref.B05015283200 
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
三県一庁時代
澎湖列島行政庁長官
澎湖島廳島司
  • 宮内盛高1895.6.28-1896.9
  • 伊集院兼良1896.9-1897.5.27
澎湖庁長
  • 伊集院兼良1897.5.27-1897.11.30
  • 多田禎三郎1897.5.27-1899.2.14
  • 高津慎1899.2.14-1900.12.22
  • 浅田知定1900.12.22-1902.6.21
  • 小林三郎1902.6.21-1906.4.1
  • 脇本彬1906.4.1-1908.5.23
  • 横沢次郎1908.5.23-1908.6.4
  • 山田寅之助1908.8.3-1909.10.25
  • 横山虎次1909.10.25-1914.2.2
  • 沢井瀬平1914.2.2-1916.11.13
  • 相川茂郷1916.11.13-1919.5.21
  • 川中子安治郎1919.5.21-1920.10.1
高雄州澎湖郡長
  • 竹下康之1920.9.1-1923.11.22
  • 清水喜七1923.11.22-1924.12.25
  • 杉山靖憲1923.11.22-1924.12.25
澎湖庁長
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