1966年の南海ホークス
1966年の南海ホークス | |
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成績 | |
日本シリーズ敗退 | |
日本S | 2勝4敗(対巨人)[1] |
パシフィック・リーグ優勝 | |
79勝51敗3分 勝率.608[2] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市浪速区 |
球場 | 大阪球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 鶴岡一人 |
« 1965 1967 » | |
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1966年の南海ホークスでは、1966年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の21年目のシーズンであり、3年連続11度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要
前シーズンオフに蔭山和夫が監督に就任したが急逝し、再び鶴岡が監督に就任したこの年は前年と違って平凡なスタート。それでも前年三冠王の野村克也、ケント・ハドリなど打線の活躍もあり開幕から首位を走るが、終盤になると西鉄が猛追、9月末から南海は7連勝、西鉄は6連勝し3.0ゲーム差で迎えた10月6日、この日がシーズン最終戦の南海が勝つか、5試合を残す西鉄が敗れるかのいずれかて南海の優勝が決まるはずが、南海は東映に敗れ、西鉄は1-0の僅差で近鉄に勝利し、南海はシーズンを終えても優勝が決まらず、西鉄が続く9日の東映戦で敗れたことにより3年連続での優勝が決定した。投手陣はアメリカから復帰の村上雅則が平凡な成績に終わったものの、エース・皆川睦雄や三浦清弘、新山彰忠などがローテーションを守り、チーム防御率は西鉄の2.13に次ぐ2位。打撃陣では野村が6年連続の本塁打王に輝いたほか、不動の1番打者・広瀬叔功もグラウンドを走りまくったが、本塁打が前年の153本から108本と、リーグ3位に後退した。巨人との日本シリーズは南海のリベンジが期待されたが、巨人に2勝4敗で敗れ鶴岡監督の悲願である日本一奪回はならなかった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 広瀬叔功 |
---|---|---|
2 | 右 | 樋口正蔵[注 1] |
3 | 二 | ブルーム |
4 | 捕 | 野村克也 |
5 | 一 | ハドリ |
6 | 左 | 井上登 |
7 | 遊 | 小池兼司 |
8 | 三 | 国貞泰汎 |
9 | 投 | 森中千香良 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 西鉄 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 東映 | 1.0 | 東映 | 4.5 | 西鉄 | 1.0 | 西鉄 | 1.5 | 西鉄 | 3.5 | 西鉄 | 4.0 |
3位 | 南海 | 1.0 | 西鉄 | 5.0 | 東映 | 2.0 | 東映 | 3.5 | 東映 | 5.5 | 東映 | 9.0 |
4位 | 阪急 | 3.5 | 東京 | 8.0 | 東京 | 8.5 | 東京 | 10.5 | 東京 | 12.0 | 東京 | 18.0 |
5位 | 東京 | 4.5 | 近鉄 | 10.5 | 阪急 | 10.5 | 阪急 | 13.0 | 阪急 | 14.5 | 阪急 | 22.0 |
6位 | 近鉄 | 5.0 | 阪急 | 11.0 | 近鉄 | 11.0 | 近鉄 | 13.5 | 近鉄 | 21.5 | 近鉄 | 31.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 79 | 51 | 3 | .608 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 75 | 55 | 8 | .577 | 4.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 70 | 60 | 6 | .538 | 9.0 |
4位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 4 | .469 | 18.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 57 | 73 | 4 | .438 | 22.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 48 | 82 | 3 | .369 | 31.0 |
[2]
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月12日(水) | 第1戦 | 南海ホークス | 5 - 12 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月13日(木) | 第2戦 | 南海ホークス | 5 - 2 | 読売ジャイアンツ | |
10月14日(金) | 移動日 | ||||
10月15日(土) | 第3戦 | 雨天中止 | 大阪球場 | ||
10月16日(日) | 読売ジャイアンツ | 3 - 2 | 南海ホークス | ||
10月17日(月) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 8 - 1 | 南海ホークス | |
10月18日(火) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 4 | 南海ホークス | |
10月19日(水) | 第6戦 | 南海ホークス | 0 - 4 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
優勝:読売ジャイアンツ(2年連続8回目) |
[1]
オールスターゲーム1966
詳細は「1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
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できごと
選手・スタッフ
南海ホークス 1966 | |
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監督 | |
一軍コーチ |
|
二軍監督・コーチ | |
投手 | |
捕手 | |
内野手 | |
外野手 |
表彰選手
リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
野村克也 | 最優秀選手 | 2年連続4度目 | |
本塁打王 | 34本 | 6年連続7度目 | |
打点王 | 97打点 | 5年連続5度目 | |
皆川睦男 | 最高勝率 | .720 | 4年ぶり2度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
野村克也 | 捕手 | 11年連続11度目 |
国貞泰汎 | 二塁手 | 初受賞 |
小池兼司 | 遊撃手 | 4年連続4度目 |
ドラフト
詳細は「1966年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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第1次ドラフト | ||||
1位 | 上田卓三 | 投手 | 三池工業高 | 入団 |
2位 | 石川義彦 | 内野手 | 鐘紡 | 拒否 |
3位 | 中条博 | 投手 | 愛知高 | 入団 |
4位 | 古渡千城 | 内野手 | 協和醗酵 | 拒否 |
5位 | 桜井輝秀 | 内野手 | 洲本実業高 | 入団 |
6位 | 井上昇 | 投手 | 九州工業高 | 拒否・熊谷組入社 |
7位 | 岩切吉徳 | 投手 | 八幡製鐵光 | 拒否 |
8位 | 三好行夫 | 内野手 | 別府鶴見丘高 | 拒否・日本鉱業佐賀関入社 |
9位 | 中林義博 | 内野手 | 日本熱学 | 拒否 |
第2次ドラフト | ||||
1位 | 中村之保 | 内野手 | 法政大学 | 入団 |
2位 | 山本忠男 | 内野手 | 龍谷大学 | 入団 |
3位 | 松室武 | 外野手 | 龍谷大学 | 在学中のため指名取消 |
関連項目
脚注
[脚注の使い方]
注釈
- ^ 偵察メンバーの渡辺と交代
出典
« 19651966年の日本プロ野球1967 » | |||||||
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セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 西鉄ライオンズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 広島カープ | 3位 | 東映フライヤーズ | 4位 | 東京オリオンズ |
5位 | 大洋ホエールズ | 5位 | サンケイアトムズ | 5位 | 阪急ブレーブス | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
各年の福岡ソフトバンクホークス | |
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1930年代 | |
1940年代 | |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
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1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |
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