1955年の南海ホークス
1955年の南海ホークス | |
---|---|
成績 | |
日本シリーズ敗退 | |
日本S | 3勝4敗(対巨人)[1] |
パシフィック・リーグ優勝 | |
99勝41敗3分 勝率.707[2] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 大阪球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 鶴岡一人 |
« 1954 1956 » | |
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1955年の南海ホークスでは、1955年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の10年目のシーズンであり、2年ぶり6度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである(当時は山本一人)。
概要
前年終盤力尽きて西鉄の球団創設以来の初優勝を許したチームだが、この年も開幕から絶好調で8月まで前年覇者の西鉄とデッドヒートを展開。8月以降は西鉄とのゲーム差を広げ、日本記録の99勝(この年セ・リーグ優勝の巨人は92勝)をあげ最後は西鉄に9ゲーム差を付けて2年ぶり、パ・リーグになってからは4度目の優勝を達成。投手陣は宅和本司と中村大成がともに20勝以上(宅和が24勝、中村が23勝)をあげ、円子宏・小畑正治・戸川一郎が10勝以上をあげるなど防御率2.61は3位の毎日が記録した2.46に次いでリーグ2位を記録。打撃陣も木塚忠助、岡本伊三美、飯田徳治らの活躍でリーグ2位の90本塁打を記録し、盗塁数も245個でリーグ1位をたたき出した。日本シリーズでは3勝1敗と巨人を圧倒し、日本一は目前だった。しかし王手のかかった第5戦以降を連敗。最終的に3勝4敗で敗れ、鶴岡監督の悲願である打倒巨人はこの年もならなかった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 木塚忠助 |
---|---|---|
2 | 二 | 岡本伊三美 |
3 | 中 | 飯田徳治 |
4 | 左 | 堀井数男 |
5 | 一 | 飯島滋弥 |
6 | 右 | 杉山光平 |
7 | 三 | 蔭山和夫 |
8 | 捕 | 松井淳 |
9 | 投 | 柚木進 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 南海 | -- | 西鉄 | -- | 南海 | -- | 西鉄 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 西鉄 | 0.5 | 南海 | 1.5 | 西鉄 | 2.0 | 南海 | 0.0 | 西鉄 | 2.5 | 西鉄 | 4.5 | 西鉄 | 9.0 |
3位 | 毎日 | 1.5 | 毎日 | 4.5 | 毎日 | 4.5 | 毎日 | 9.0 | 毎日 | 10.0 | 毎日 | 11.5 | 毎日 | 14.0 |
4位 | 阪急 | 7.5 | 阪急 | 10.0 | 近鉄 | 14.0 | 阪急 | 11.0 | 阪急 | 13.5 | 阪急 | 18.0 | 阪急 | 19.0 |
5位 | 近鉄 | 9.5 | 近鉄 | 10.5 | 阪急 | 14.5 | 近鉄 | 19.0 | 近鉄 | 26.5 | 近鉄 | 28.0 | 近鉄 | 39.0 |
6位 | 東映 | 10.5 | 大映 | 16.5 | 東映 | 23.0 | 大映 | 29.0 | 大映 | 34.0 | 大映 | 41.5 | 大映 | 46.0 |
7位 | トンボ | 12.0 | トンボ | 17.5 | 大映 | 23.5 | 東映 | 29.5 | 東映 | 37.0 | 東映 | 44.0 | 東映 | 48.0 |
8位 | 大映 | 14.5 | 東映 | 18.0 | トンボ | 26.5 | トンボ | 34.5 | トンボ | 44.5 | トンボ | 51.5 | トンボ | 57.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 南海ホークス | 99 | 41 | 3 | .707 | --- |
2位 | 西鉄ライオンズ | 90 | 50 | 4 | .643 | 9.0 |
3位 | 毎日オリオンズ | 85 | 55 | 2 | .607 | 14.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 80 | 60 | 2 | .571 | 19.0 |
5位 | 近鉄パールス | 60 | 80 | 2 | .429 | 39.0 |
6位 | 大映スターズ | 53 | 87 | 1 | .379 | 46.0 |
7位 | 東映フライヤーズ | 51 | 89 | 3 | .364 | 48.0 |
8位 | トンボユニオンズ | 42 | 98 | 1 | .300 | 57.0 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 | ||
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10月15日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 4 - 1 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月16日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 2 | 南海ホークス | |||
10月17日(月) | 移動日 | ||||||
10月18日(火) | 第3戦 | 南海ホークス | 2 - 0 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 | ||
10月19日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||||
10月20日(木) | |||||||
10月21日(金) | 南海ホークス | 5 - 2 | 読売ジャイアンツ | ||||
10月22日(土) | 第5戦 | 南海ホークス | 5 - 9 | 読売ジャイアンツ | |||
10月23日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 1 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月24日(月) | 第7戦 | 読売ジャイアンツ | 4 - 0 | 南海ホークス | |||
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり4回目) |
[1]
オールスターゲーム1955
詳細は「1955年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
コーチ | 山本一人 | |
投手 | 宅和本司 | 初 |
捕手 | 筒井敬三 | 4 |
二塁手 | 岡本伊三美 | 2 |
遊撃手 | 木塚忠助 | 5 |
外野手 | 飯田徳治 | 5 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
飯田徳治 | 最高殊勲選手 | 初受賞 | |
森下正夫 | 盗塁王 | 59個 | 初受賞 |
宅和本司 | 最多勝利 | 24勝 | 2年連続2度目 |
中村大成 | 最高勝率 | .852 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
中村大成 | 投手 | 初受賞 |
杉山光平 | 一塁手 | 初受賞 |
岡本伊三美 | 二塁手 | 2年ぶり3度目 |
木塚忠助 | 遊撃手 | 2年ぶり7度目 |
飯田徳治 | 外野手 | 初受賞[注 1] |
脚注
[脚注の使い方]
注釈
- ^ 一塁手部門で4度受賞しており、通算5度目。
出典
« 19541955年の日本プロ野球1956 » | |||||||
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セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 西鉄ライオンズ |
3位 | 大阪タイガース | 4位 | 広島カープ | 3位 | 毎日オリオンズ | 4位 | 阪急ブレーブス |
5位 | 国鉄スワローズ | 6位 | 大洋ホエールズ | 5位 | 近鉄パールス | 6位 | 大映スターズ |
7位 | 東映フライヤーズ | 8位 | トンボユニオンズ | ||||
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
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各年の福岡ソフトバンクホークス | |
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1930年代 | |
1940年代 | |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
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1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |
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