西志村
にししそん 西志村 | |
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廃止日 | 1917年12月1日 |
廃止理由 | 新設合併 西志村、福米村、東志村 → 高城村 |
現在の自治体 | 倉吉市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 東志村、福米村、北谷村、山守村 |
西志村役場 | |
所在地 | 鳥取県東伯郡福米村大字上福田(組合村役場) |
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西志村(にししそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった村。現在の倉吉市の一部にあたる。
地理
久米が原台地、国府川上流の扇状地・段丘上に位置していた[2]。
- 河川:志村川[2]
歴史
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡今在家村、服部村、桜村、河来見村が合併して村制施行し、西志村が発足[1][2]。旧村名を継承した今在家、服部、桜、河来見の4大字を編成[2]。久米郡福米村、東志村と組合村を結成し、組合村役場を福米村大字上福田に設置[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]。
- 1917年(大正6年)12月1日、東伯郡福米村、東志村と合併し高城村を新設して廃止された[1][2]。合併後、高城村大字今在家・服部・桜・河来見となる[2]。
地名の由来
志村川の西側の谷にあることにちなむ[2]。
産業
- 農業[3]
教育
- 1876年(明治9年)河来見村二子に志村谷学校河来見分校を開校[3]。1887年(明治20年)福田尋常小学校分校となる[2]。
名所・旧跡
- 大日寺[4]
脚注
- ^ a b c 『市町村名変遷辞典』592頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』580頁。
- ^ a b 「河来見〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』263頁。
- ^ 「桜〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』364-365頁。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。