ゲームクリエイターを夢見て、日本電子専門学校情報処理科を卒業した後、1986年に任天堂に入社。初期は当時の製造本部情報開発部に配属され、最初に『夢工場ドキドキパニック』(後に登場キャラクターをマリオシリーズのキャラクターに差し替え海外で発売された『Super Mario Bros. 2』及び日本でも逆輸入として発売された『スーパーマリオUSA』)でアシスタントディレクターとして主要なデザインを手がけた[1]。それ以降、宮本茂の下でスーパーマリオシリーズなどで監督業を担う中、マリオシリーズのキャラクターがカートでレースを繰り広げる『スーパーマリオカート』を開発し、大ヒットを収めた。マリオカートシリーズでは、『マリオカートアドバンス』と『マリオカート ダブルダッシュ!!』を除き全作品に関わっている[2]。