浅井 琳庵(あさい りんなん、1658年〈万治元年〉 - 1711年〈宝永8年もしくは正徳元年〉または1717年〈享保2年〉)は、江戸時代前・中期の儒学者・神道家。名は重遠[1]。通称は万右衛門[1]。別号は義斎。
近江国に生まれる[1]。
山崎闇斎に儒学と垂加神道を[要出典]学ぶ[1]。八条宮尚仁親王および京極宮文仁親王の侍講のほか[要出典]、丹波国・園部藩儒を務めた[1]。
没年については「1711年」「1717年」の2説がある[1]。
門人に田辺希文・蘆野東山・磯辺昌言らがいる[要出典]。
著作は『干土草』『興名草』『武要鈔』『名義詳説』など[1][2]。
脚注
- ^ a b c d e f g "浅井琳庵". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2023年12月9日閲覧。
- ^ 松本丘『垂加神道の人々と日本書紀』弘文堂、2008年、[要ページ番号]