栖岸院
栖岸院 | |
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所在地 | 東京都杉並区永福1-6-12 |
位置 | 北緯35度40分7.19760秒 東経139度38分33.07920秒 / 北緯35.6686660000度 東経139.6425220000度 / 35.6686660000; 139.6425220000座標: 北緯35度40分7.19760秒 東経139度38分33.07920秒 / 北緯35.6686660000度 東経139.6425220000度 / 35.6686660000; 139.6425220000 |
山号 | 松苔山 |
院号 | 栖岸院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳 |
中興年 | 大正9年(1920年) |
中興 | 信誉明道 |
法人番号 | 7011305000339 |
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概要
創建年代は不明である。元々は三河国村高庄(現・愛知県安城市)にあった「長福寺」という寺で、当初は真宗高田派の寺院であった。その後、徳川家康の居城に連動するような形で駿府に移り、1591年(天正19年)に江戸麹町に移転した[1]。
1621年(元和7年)安藤重信が当院に葬られて以降安藤家の菩提寺となり、1639年(寛永16年)に浄土宗に転宗した。「栖岸院」は重信の戒名に由来する。他にも丹南藩主家の高木家や旗本諸家の香華寺となっていた[2]。
江戸時代、当寺の住職は将軍に単独拝謁できる格式が認められていた[2]。
明治時代以降の武家の没落に伴い、一時は千住の勝専寺に吸収されてしまった。その状況を憂えた信誉明道は一念発起し、1920年(大正9年)、現在地に再興した[1]。
境内
- 観音堂
- 「火伏観音」という観音菩薩像を安置。杉並区の文化財に指定されている[2]。
墓所
- 安藤家(譜代大名)
- 高木家(譜代大名、丹南藩)
交通アクセス
脚注
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- ^ a b 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年、67-68p
- ^ a b c 144 栖岸院【寺院】(永福1丁目6番12号)杉並区教育委員会事務局生涯学習推進課文化財係
参考文献
- 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩(東京史跡ガイド15)』学生社、1992年
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