| この項目では、元女子バレーボール選手で千葉姓を名乗っている人物について説明しています。元裁判官の男性については「千葉勝美」をご覧ください。 |
| 松村 勝美 MATSUMURA Katsumi
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基本情報 |
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国籍 | 日本 |
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生年月日 | (1944-03-08) 1944年3月8日(80歳) |
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出身地 | 大阪府八尾市 |
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ラテン文字 | MATSUMURA Katsumi |
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身長 | 173cm |
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体重 | 73kg |
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選手情報 |
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ポジション | セッター |
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松村 勝美(まつむら かつみ、現姓:千葉、1944年3月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。金メダリスト。
来歴
大阪府八尾市出身。校内バレーボール大会で優勝したのが教師の目に留まり、中学2年からバレーボールを始める。3年次には激戦区大阪の府内大会で3位を経験する。この時に会場に来ていた小島孝治四天王寺高校監督(当時)に誘われて四天王寺高校に入学する。
四天王寺高校在学中は国体やインターハイで全国優勝4回に貢献した。1962年に日紡貝塚に入社。1964年東京オリンピックでは金メダル、1972年ミュンヘンオリンピックでは主将として銀メダルを獲得した。1972年国体を最後に現役を引退した。
1973年に警視庁警察官で剣道家の千葉仁と結婚[1][2]。現在はジュニア向けバレーボール教室の講師を務めることもある[1]。
東京とミュンヘンの2回のオリンピックに出場した唯一の日本女子バレーボール選手である。東京オリンピックの選手村で散歩中に円谷幸吉(陸上競技選手)と知り合い、円谷が急逝するまで文通をするなど親交があった[1]。
球歴
- 市立龍華中 → 四天王寺高校 → ニチボー貝塚/ユニチカ貝塚(1962-1972年)
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 受賞歴
- 1968年 - 第2回日本リーグ 敢闘賞、レシーブ賞
- 1969年 - 第3回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
- 1970年 - 第4回日本リーグ レシーブ賞、ベスト6
- 1971年 - 第5回日本リーグ 最高殊勲選手賞、レシーブ賞、サーブ賞、ベスト6
脚注
- ^ a b c 週刊北京五輪:オリンピアン採訪 千葉勝美さん 毎日新聞 2008年5月9日閲覧
- ^ “東洋の魔女”から後輩たちにエール「新しい体育館で新しい歴史を作ってもらいたい」 スポーツ報知 2018年3月27日 最終面
日本リーグ女子 最高殊勲選手賞/最優秀選手賞 |
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日本リーグ | |
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Vリーグ | |
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V・プレミア リーグ | |
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V.LEAGUE DIVISION1 | |
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日本リーグ女子敢闘賞 |
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日本リーグ | 1960年代 | 67 高山鈴江 / 68-69 松村勝美 / 69-70 浜恵子 |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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