東長田村
ひがしながたそん 東長田村 | |
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廃止日 | 1955年3月30日 |
廃止理由 | 新設合併 天津村、大国村、法勝寺村、上長田村、東長田村 → 西伯町 |
現在の自治体 | 南部町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 963人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 賀野村、法勝寺村、上長田村、日野郡溝口町 |
東長田村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡東長田村 |
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東長田村(ひがしながたそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。
地理
法勝寺川の支流・東長田川の流域一帯と、同支流の八金川・二桝川・峠口川・牛子川・水谷川・奥山川流域の山間部に位置していた[2]。
歴史
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡八金村、中村、東上村が合併して村制施行し、東長田村が発足[1][2]。旧村名を継承した八金、中、東上の3大字を編成[2]。会見郡上長田村と組合村を1913年(大正2年)まで結成し、組合役場を上長田村大字能竹に置いた[3]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]。
- 1939年(昭和14年)東長田電信電話取扱所が開設され、1946年(昭和21年)東長田郵便局となる[2]。
- 1955年(昭和30年)3月30日、西伯郡天津村、大国村、法勝寺村、上長田村と合併し、町制施行し西伯町を新設して廃止された[1][2]。合併後、西伯町大字八金・中・東上となる[2]。
産業
- 農業、商業、工業[2]
教育
- 1879年(明治12年)落合小学校江原分校が独立し、中村小学校となる[4]。1885年(明治18年)校舎新築[4]。1887年(明治20年)中村簡易小学校に改称[4]。1892年(明治25年)東長田尋常小学校に改称[2]。1891年(明治26年)大字中に校舎新築[2]。1907年(明治40年)東長田尋常高等小学校に改称[2]。1909年(明治42年)東長田尋常小学校に改称[2]。1941年(昭和16年)東長田国民学校に改称[2]。1947年(昭和22年)東長田小学校に改称[2]。1967年(昭和42年)西伯小学校に統合され閉校[4]。
脚注
- ^ a b c 『市町村名変遷辞典』652頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』635頁。
- ^ 「能竹」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』594頁。
- ^ a b c d 「中〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』542-543頁。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。