本多政通

本多政通

本多 政通(ほんだ まさみち、天保7年7月5日(1836年8月16日) - 安政3年11月3日(1856年11月30日))は、加賀藩の年寄、加賀八家本多家第10代当主。

父は加賀藩年寄本多政和。弟は本多政均。官位は従五位下周防守。

生涯

天保7年(1836年)加賀藩年寄本多政和の長男として生まれる。弘化4年(1847年)父の死去により家督と5万石の知行を相続。年寄として藩主前田斉泰に仕えた。

嘉永4年(1851年)従五位下周防守に叙任。嘉永6年(1853年)6月江戸湾の浦賀沖にペリー艦隊が来航。幕府の諸藩への海防強化の要請を受けて、9月に越中の海防を担当することになり、10月弟政均と共に、越中の海岸を視察。安政3年(1856年)没。享年21。家督は弟の政均が相続した。

立ち葵紋加賀本多家第10代当主(1847年 - 1856年)

政重 - 政長 - 政敏 - 政質 - 政昌 - 政行 - 政成 - 政礼 - 政和 - 政通 - 政均 - 政以 - 政樹 - 政一 - 政光

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