星崎城
星崎城 (愛知県) | |
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星崎城の石碑 | |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 山田重忠 |
築城年 | 治承年間(1177年-1181年) |
主な城主 | 山田重忠、花井右衛門兵衛、岡田直教、岡田重善、岡田重孝、山口重勝、山口重政 |
廃城年 | 天正16年(1588年) |
遺構 | 井戸、石碑、説明板 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度05分23.8秒 東経136度56分05.3秒 / 北緯35.089944度 東経136.934806度 / 35.089944; 136.934806 |
地図 | 星崎城 |
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星崎城(ほしざきじょう)は、愛知県名古屋市南区にあった日本の城(平城)。
歴史
鎌倉時代
治承年間(1177年-1181年)に山田重忠が築城した。山田氏が居城していたが、他の地域に移りすんだので廃城になった。
戦国時代
鳴海の豪族だった花井右衛門兵衛がここを居城にした。山口教継の謀反により、花井右衛門兵衛の領地が織田信長に没収され、岡田直教が城主になった。天正12年(1584年)岡田直教の家臣である山口重勝が城主になった。山口重勝の娘が豊臣秀次の側室となったが、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が秀次に謀反の疑いにより自刃に追い込んだ後、親族も共に処刑され、山口重勝も自刃した。
その後、山田氏の支族である織田氏の家臣の岡田重善、岡田重孝が城主になった。織田信雄の伊勢国移封に伴い、後の牛久藩初代藩主山口重政が城主になったが、茂福城と領地を換える事になったため、廃城になった。
現代
現在は名古屋市立笠寺小学校、宅地になっており井戸以外のものは残っていない。名古屋市立笠寺小学校と近くにある秋葉神社に石碑がある。
規模
東西約47メートル、南北約61メートル[1]。
所在地
脚注
- ^ 「星崎城跡」名古屋市南区公式HP
参考文献
- 『尾張名所図会』 第五巻 星崎古城、1844年
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、星崎城に関連するカテゴリがあります。
- 星崎城の歴史
- 「現在名古屋市立笠寺小学校が建つあたりにかつて存在した「星崎城」について知りたい。」(名古屋市鶴舞中央図書館) - レファレンス協同データベース