安東省
この項目では、中華民国の行政区画について説明しています。満洲国の行政区画については「安東省 (満洲国)」を、中国共産党の解放区については「遼東省#安東省」をご覧ください。 |
中華民国 安東省 | |
← 1945年 - 1949年 → | |
安東省の位置 | |
簡体字 | 安東 |
繁体字 | 安東 |
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拼音 | Āndōng |
カタカナ転記 | アンドン |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 通化市 |
建置 | 1945年 |
廃止 | 1949年 |
面積 | |
- 総面積 | 62,279.23 km² |
人口 | |
- 総人口(1947) | 297.1 万人 |
安東省(あんとうしょう)は、中華民国にかつて存在した省。
管轄区域
安東省は東九省中で最も面積が小さい省である。丘陵地及び山地を主とする地勢であり、南部沿岸部には平原が広がる。省中部は長白山地が広がる。省内は鴨緑江が流れ、水力発電の重要な拠点とされた。
行政区沿革
清代は奉天将軍の所轄地とされ、1907年(光緒33年)に奉天省が設置されその管轄下に置かれた。1929年(民国18年)に奉天省は遼寧省と改称されたが、1932年(大同元年)に満洲国が成立すると奉天省に改編されている。
安東省の名称が初めて登場したのは満洲国時代の1934年(康徳元年)12月1日であるが、その後の行政区改革により安東省と通化省に分割されている。
満洲国が崩壊すると1945年(民国34年)9月4日、国民政府は安東省長を任命、1947年(民国36年)、東北9省の行政区画が公布されると満洲国の安東省及び通化省を統合し、中華民国安東省が成立、省会は通化市に設置された。
しかし国共内戦により省域の大部分が中国共産党の実効支配下に置かれていた安東省ではその地方行政制度の施行は限定されるものであり、その大部分には共産党により安東省が設置されている。
行政区画
中華人民共和国成立直前の下部行政区画は2市13県。下記にそれぞれ五十音順に列記する。
関連項目
前の行政区画 安東省 通化省 | 遼吉両省の歴史的地名 1945年 - 1949年 | 次の行政区画 安東省 |
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台湾地区の行政区画 (1955年2 - 現在) |
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大陸地区を含む全領域(中国語版)の行政区画4 (1912年 - 2005年5) |
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各行政区画が属する区域についてはTemplate:中国地理大区を参照のこと。 1 北京政府、または国民政府・中華民国政府が中央政府機構を1年以上設置した実績のある都市。なお、1925年 - 1928年は北京政府と国民政府の並立期間。 2 国共内戦(大陳島撤退作戦)にともない中華民国政府の実効支配地域が変更された最後の年。 3 行政改革によって行政機関としての機能は2018年までに消滅。ただし、中華民国憲法と中華民国憲法増修條文の上では廃止されていない。 4 この行の記載は、行政院新聞局が2005年に刊行した「中華民國九十四年年鑑」に基づく。 5 「中華民國九十四年年鑑」が刊行された年。これ以降、中華民国政府は大陸地区の範囲・行政区分に関する公告を発表していない。 6 全域が台湾地区に属する。 7 金馬地区が台湾地区に、それ以外の地区が大陸地区に属する。 8 モンゴル人民共和国(現在のモンゴル国)の独立を承認したため、1946年に廃止。その後モンゴルの独立承認を取り消したため、1953年に復活。2002年にモンゴルの独立を再び承認。詳細は「台蒙関係」を参照 |