哀王(あいおう)は、中国戦国時代の楚の王(在位:紀元前228年)。姓は羋、氏は熊。諱は猶。考烈王の子で、幽王の同母弟。
幽王10年(紀元前228年)、兄の幽王が死去したため、即位した。
哀王は即位後わずか2カ月余で、庶兄[1]の負芻を擁立した楚の国人らによって、母の李環やその兄の李園ともに殺害された。このため、負芻が楚の王位に就いた。