光宗 (高麗王)
光宗 王昭 | |
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高麗 | |
第4代国王 | |
王朝 | 高麗 |
在位期間 | 949年4月13日 - 975年7月4日 |
姓・諱 | 王昭(ワン・ソ) |
諡号 | 弘道宣烈平世粛憲懿孝康恵大成大王 |
廟号 | 光宗 |
生年 | 天授8年(925年) |
没年 | 開宝8年5月23日 (975年7月4日) |
父 | 太祖 |
母 | 神明順聖王后 |
王后・王配 | 大穆王后 |
妃嬪 | 下記参照 |
子女 | 下記参照 |
陵墓 | 憲陵 |
元号 | 光徳(950年 - 951年) 峻豊(960年 - 963年) |
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光宗(こうそう、925年 - 975年7月4日)は第4代高麗王(在位:949年 - 975年)。姓は王、諱は昭、諡号は弘道宣烈平世粛憲懿孝康恵大成大王。父は太祖、母は神明順成王后劉氏。恵宗の異母弟で定宗の同母弟。
元朝服属以前の高麗君主であったことから、対中国王朝に対しては国王と称していたが、国内では皇帝や天子といった呼称も使用していた[1]。
治世
956年に奴婢按検法を宣布し、後三国時代の混乱期に奴婢となった者たちの身分回復を始めた。この法により、大量の奴婢が耕作する広大な所領を経済的基盤としていた建国の功労者である豪族たちの勢力をそぎ、王権の強化に努めた。また科挙制度の開始など、高麗初期において国家の基盤を築いた名君として評価されている。だが治世の後半に至って豪族や親族に対する排除は粛清といえるほどに厳しさを増し、中には罪なく殺された者もでたため、後世に批判される面もあった。
家族
后妃
- 王后:大穆王后 皇甫氏 太祖と神静王后 皇甫氏の娘。異母妹にあたる。
- 側室:慶和宮夫人 林氏 第2代国王恵宗の娘。姪にあたる。弟が光宗に粛清されたことを受けて、自殺した。
- 側室:宜慧貴妃 大氏 渤海国王族出身。
- 側室:宮人 金氏 ?出身
子女
いずれも大穆王后との子。
- 景宗 第5代国王。
- 孫:穆宗 第7代国王。
- 孝和太子(早世)
- 千秋公主
- 寶華公主
- 文徳王后(第6代国王成宗の正妃)
- 孫娘:宣正王后劉氏(第7代国王穆宗の正妃)(前夫 弘徳院君王圭(太祖の孫)との娘)
光宗 (高麗王)が登場する作品
- テレビドラマ
- 『光宗大王 〜帝国の朝〜』、(2002年韓国KBS、演:キム・サンジュン)
- 『輝くか、狂うか』(2015年韓国MBC、演:チャン・ヒョク)
- 『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』(2016年韓国SBS、演:イ・ジュンギ)(日本語吹き替え版声優:石田彰)
注記
- ^ 『高達寺元宗大師恵真塔』より
高麗王(第4代:949年 - 975年) | |
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高麗王 | 太祖918-943 / 恵宗943-945 / 定宗945-949 / 光宗949-975 / 景宗975-981 / 成宗981-997 / 穆宗997-1009 / 顕宗1009-1031 / 徳宗1031-1034 / 靖宗1034-1046 / 文宗1046-1083 / 順宗1083 / 宣宗1083-1094 / 献宗1094-1095 / 粛宗1095-1105 / 睿宗1105-1122 / 仁宗1122-1146 / 毅宗1146-1170 / 明宗1170-1197 / 神宗1197-1204 / 熙宗1204-1211 / 康宗1211-1213 / 高宗1213-1259 / 元宗1259-1274 / 忠烈王1274-1298 / 忠宣王1298 / 忠烈王(復位)1298-1308 / 忠宣王(復位)1308-1313 / 忠粛王1313-1330 / 忠恵王1330-1332 / 忠粛王(復位)1332-1339 / 忠恵王(復位)1339-1344 / 忠穆王1344-1348 / 忠定王1349-1351 / 恭愍王1351-1374 / 禑王1374-1388 / 昌王1388-1389 / 恭譲王1389-1392 / |
追封王 | |
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