伊藤竹里
伊藤 竹里(いとう ちくり、1692年(元禄5年)- 1756年10月4日(宝暦6年9月11日))は、江戸時代中期の儒学者である[1][2]。名は長準[1]、字は平蔵[1]。
経歴・人物
伊藤仁斎の四男として京都に生まれる[1]。若くして異母兄の伊藤東涯から古義学を学び[1][2]、1723年(享保8年)には久留米藩に出仕した[1][2]。
後に当時藩主だった有馬則維に仕え[1]、その後継藩主で和算家としても著名な有馬頼徸の侍読にあたって江戸の藩邸で古義学を教える[1]。門下に内田鵜洲らがいた。
主な著作物
- 『赤羽漫筆』
- 『枕干小録』
脚注
- ^ a b c d e f g h “伊藤竹里”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2024年2月5日閲覧。
- ^ a b c “伊藤竹里”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン). 2024年2月5日閲覧。
- 表示
- 編集
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |
- 表示
- 編集