中北条村
なかほうじょうそん 中北条村 | |
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廃止日 | 1954年6月1日 |
廃止理由 | 新設合併 下北条村、中北条村 → 北条町 |
現在の自治体 | 東伯郡北栄町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 2,969人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 羽合町、下北条村、倉吉市 |
中北条村役場 | |
所在地 | 鳥取県東伯郡中北条村大字江北 |
座標 | 北緯35度29分00秒 東経133度49分28秒 / 北緯35.48328度 東経133.82447度 / 35.48328; 133.82447座標: 北緯35度29分00秒 東経133度49分28秒 / 北緯35.48328度 東経133.82447度 / 35.48328; 133.82447 |
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中北条村(なかほうじょうそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった村。現在の東伯郡北栄町の一部にあたる。
地理
倉吉平野の北部、天神川と北条川に挟まれた平地西麓に位置していた[2]。
- 山岳:茶臼山[3]
- 海洋:日本海[3]
歴史
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡江北村、国坂村が合併して村制施行し、中北条村が発足[1][2]。旧村名を継承した江北、国坂の2大字を編成[2]。村役場を大字江北に設置[4]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]。
- 1954年(昭和29年)6月1日、東伯郡下北条村と合併し、町制施行し北条町を新設して廃止された[1][2]。合併後、北条町大字江北・国坂となる[2]。
産業
- 農業[4]
教育
- 1873年(明治6年)江北学校開校[4]。1874年(明治7年)江北学校開校[3]。1889年(明治22年)江北学校、国坂学校を統合し中北条尋常小学校を開校[2]。1941年(昭和16年)中北条国民学校を経て1947年(昭和22年)中北条小学校に改称[2]。(参照:北栄町立北条小学校)
名所・旧跡
- 長瀬高浜遺跡[3]
脚注
- ^ a b c 『市町村名変遷辞典』564頁。
- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』231頁。
- ^ a b c d 「国坂〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』297-298頁。
- ^ a b c 「江北〈北条町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』146頁。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。