モショエショエ1世
モショエショエ1世 Moshoeshoe I | |
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レソト国王 | |
モショエショエ1世(ベンスーザン博物館蔵) | |
在位 | 1822年 - 1870年1月18日 |
出生 | 1786年 メンホアネン(英語版) |
死去 | 1870年3月11日 |
埋葬 | タバ・ボシウ |
子女 | レツィエ1世(英語版) |
家名 | セーイソ家 |
王朝 | バモコテリ朝 |
父親 | モハチャネ |
母親 | コルー |
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モショエショエ1世(英語: Moshoeshoe I, 1786年 - 1870年3月11日)は、レソトの初代国王。
生涯
現在のレリベ県に位置するメンホアネン(英語版)に、バクウェナ族(英語版)の一支流であったバモコテリ族の小酋長であったモハチャネの長男として生まれる。幼少期から父が他の部族よりも強い力を得るのを手伝い、34歳で部族の酋長となった。モショエショエとその民はブタ=ブテ山(英語版)に移り住んだ。
ジョセフ・ジェラール(英語版)らフランスのカトリック宣教師の助力を得て、オレンジ自由国から入植してきたボーア人からバストランドを守るためにイギリスと交渉を始めた。1843年、モショエショエはケープ植民地軍(英語版)の将軍であったジョージ・トーマス・ネイピア(英語版)と条約を結び、故郷のバストランドを保護領とすることに同意した。 1869年、新たに州の境界線を策定し、バストランドをイギリスの植民地とした。
関連項目
- モショエショエ1世国際空港 - モショエショエ1世にちなんで命名された。
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