ベティ・カンプソン
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ベティ・カンプソン Betty Compson | |
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宣材写真(1930年) | |
本名 | Eleanor Luicime Compson |
生年月日 | (1897-03-19) 1897年3月19日 |
没年月日 | (1974-04-18) 1974年4月18日(77歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国 ユタ州ビーバー(英語版) |
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州グレンデール |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1915 - 1948 |
配偶者 | ジェームズ・クルーズ(英語版)(1924-1930離婚) アーヴィング・ワインバーグ(1933-1937離婚) シルヴィウス・ジャック・ゴール(1944-1962死別) |
署名 | |
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ベティ・カンプソン(Betty Compson、1897年3月19日 - 1974年4月18日)は、アメリカ合衆国の女優、映画プロデューサー。デビューはサイレント映画期。代表作は『紐育の波止場』(1928年)とアカデミー主演女優賞にノミネートされた『煩悩(英語版)』(1928年)。
生涯
1897年3月19日[1]、ユタ州ビーバー(英語版)の鉱山キャンプで、鉱山技師・金採掘者・食料雑貨店経営者の父ヴァージル・カンプソンと家事手伝い・ホテルメイドのメアリー・ラウシャーの子として生まれる[2]。出生名はEleanor Luicime Compson。ソルトレイク高校を卒業[3]。若くして父親をなくし、16歳でソルトレイクシティの劇場でバイオリニストとして働き出す[4]。
巡業でヴォードビルの寸劇を演じていたところ、ハリウッドの喜劇プロデューサーのアル・クリスティ(英語版)の目に留まり契約[5][6]。1915年11月公開の『Wanted: A Leading Lady』で映画デビューする[7]。
1916年には25本の映画に出演。『Almost a Widow』を除いて、すべてアル・クリスティの短編映画だった[8]。クリスティとの契約が終了する1918年半ばまでこのペースで多数の短編映画に出演。1919年、パラマウント映画と5年契約を結び、ジョージ・ローン・タッカー(英語版)監督作品『ミラクルマン(英語版)』で長編映画デビュー。
人気を得たことで、プロデュース業にも進出。『愛の虜(英語版)』を製作・主演した。
『四つの顔の女(英語版)』(1923年)を完成させたところで、パラマウントに週給2500ドルからの昇給を要求するが会社は拒否。新たにロンドンの映画会社と契約を結び、グラハム・カッツ(英語版)監督の『Woman to Woman』(1923年)、『ホワイト・シャドウ(英語版)』(1924年)に出演する(この2本にはアルフレッド・ヒッチコックが脚本で参加している)。まだまだカンプソンに人気があることを知り、ジェシー・L・ラスキーは最高額でカンプソンをパラマウントに呼び戻す。
ハリウッド復帰作の『性の敵(英語版)』(1924年)の監督 ジェームズ・クルーズ(英語版)と翌1925年に結婚。(1929年に離婚)[9]。しかし契約はそれ1本きりで、カンプソンはフリーランスの道を選び、低予算のコロンビア ピクチャーズ『春の花巴里情調(英語版)』(1926年)やチャドウィック・ピクチャーズ『The Ladybird』(1927年)などに主演。『肉体と悪魔』(1926年)でグレタ・ガルボの代役に検討されたが、結局ガルボがそのまま出演した。
1928年にはファースト・ナショナル・ピクチャーズ(英語版)のパート・トーキー映画『煩悩』に主演。アカデミー主演女優賞にノミネートされた[10]。同年、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『紐育の波止場』にも出演。
これらの作品でカンプソンの人気は復活、トーキー時代を迎えて、多忙な女優となった。『ミラクルマン』『The Big City』(1928年)でカンプソンと共演したロン・チェイニーは自身初となるトーキー映画『三人(英語版)』(1930年)の相手役を依頼したが、忙しすぎて出ることが出来ず友人のライラ・リー(英語版)を紹介したほどである。
1930年だけで9本の映画に主演。しかし、ゲイリー・クーパー主演『スポイラース(英語版)』のヒットを最後に、出演はポヴァティ・ロウの映画ばかりになる。
それでも『風と共に去りぬ』のベル・ワトリング役のスクリーン・テストを受けるが、役は得られず、ヒッチコック監督の『スミス夫妻』(1941年)で小さな役をもらうのがやっとであった。
1948年の『Here Comes Trouble』を最後に女優を引退。その後は化粧品会社の経営や、3番めの夫の事業を手伝った。
1974年4月18日、カリフォルニア州グレンデールの自宅で心臓発作のために死亡。77歳だった。サン・フェルナンド・ミッション・セメタリーに埋葬[11]。結婚は3回したが、子供はいなかった。
映画産業への多大な貢献により、ヴァイン通り1751にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星と名前を刻まれた[12] 。
主な出演作品
- Wanted: A Leading Lady (1915)
- 国境侵入者(英語版) (1918)
- 嘘の上塗り (1919)
- 悪魔の足跡(英語版) (1919)
- ミラクルマン(英語版) (1919)
- 愛の虜(英語版) (1921)
- 世界の涯(英語版) (1921)
- 女よ幸あれ(英語版) (1921)
- 小牧師 (1922)
- 法律と女(英語版) (1922)
- 再生の女王(英語版) (1922)
- 椰子の葉蔭(英語版) (1922)
- 文明の破壊(英語版) (1922)
- 白薔薇(英語版) (1923)
- 絹擦れの音(英語版) (1923)
- 四つの顔の女(英語版) (1923)
- Woman to Woman (1923)
- ホワイト・シャドウ(英語版) (1924)
- 性の敵(英語版) (1924)
- 浮気征伐 (1924)
- 輝く三色旗(英語版) (1925)
- 極楽突進(英語版) (1925)
- 駅馬車(英語版) (1925)
- 歓楽の宮殿(英語版) (1926)
- 春の花巴里情調(英語版) (1926)
- 君が為め命捧げん(英語版) (1927)
- 狐と狸の腕比べ(英語版) (1927)
- 軍法会議(英語版) (1928)
- 紐育の波止場 (1928)
- 煩悩(英語版) (1928)
- 真紅の海(英語版) (1929)
- 再生の彼(英語版) (1929)
- エロ大行進(英語版) (1929)
- ストリート・ガール(英語版) (1929)
- 踊り子をめぐりて(英語版) (1929)
- グレイト・ガッボ (1929)
- 逃走の島(英語版) (1930)
- 殺人街(英語版) (1930)
- 盛り場の大蜘蛛(英語版) (1930)
- スポイラース(英語版) (1930)
- 姫君と武官(英語版) (1930)
- 霧の夜嵐(英語版) (1931)
- 純真花婿(英語版) (1931)
- 海の荒鷲(英語版)(1933)
- 大都会の歓呼(英語版) (1936)
- ハリウッド大通り(英語版) (1936)
- 暗黒王マルコ(英語版) (1938)
- スミス夫妻 (1941)
出典
- ^ Wilson, Scott (2016) (英語). Resting Places: The Burial Sites of More Than 14,000 Famous Persons, 3d ed.. McFarland. p. 150. ISBN 9781476625997. https://books.google.com/books?id=FOHgDAAAQBAJ&pg=PA150&q=%22Eleanor%20Luicime%20Compson%22 2020年8月27日閲覧。
- ^ “Compson, Betty”. Oxford Index. Oxford University Press. January 10, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月27日閲覧。
- ^ Katchmer, George A. (2009) (英語). A Biographical Dictionary of Silent Film Western Actors and Actresses. McFarland. p. 69. ISBN 9781476609058. https://books.google.com/books?id=VnGeCQAAQBAJ&pg=PA69&q=%22Betty%20Compson%22%20actress 2020年8月27日閲覧。
- ^ “Betty Compson”. latimes.com. 2020-08/27閲覧。
- ^ “© Betty Compson, Silent and Sound Movie Star - goldensilents.com”. www.goldensilents.com. 2016年4月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Wagner, Kristen Anderson (2018) (英語). Comic Venus: Women and Comedy in American Silent Film. Wayne State University Press. ISBN 9780814341032. https://books.google.com/books?id=JUo9DwAAQBAJ&pg=PT312&q=%22Eleanor%20Luicime%20Compson%22 2020年8月27日閲覧。
- ^ “Bits of News for Movie Fans”. Star Tribune (Minnesota, Minneapolis): p. 35. (November 7, 1915). https://www.newspapers.com/clip/16410566/betty_compson/ 2020年8月27日閲覧。
- ^ Muller, Eddie. 2012. San Francisco Silent Film Festival: The Docks of New York Retrieved 28 April 2018. http://www.silentfilm.org/archive/the-docks-of-new-york
- ^ Neste, Dan Van (2017) (英語). The Magnificent Heel: The Life and Films of Ricardo Cortez. BearManor Media. p. 229. https://books.google.com/books?id=nM5ADwAAQBAJ&pg=PA229&q=%22Betty%20Compson%22%20actress 2020年8月27日閲覧。
- ^ “("Betty Compson" search results)”. Academy Awards Database. Academy of Motion Picture Arts and Sciences. 2018年1月10日閲覧。[リンク切れ]
- ^ Ellenberger, Allan R. (2001) (英語). Celebrities in Los Angeles Cemeteries: A Directory. McFarland. p. 195. ISBN 9780786450190. https://books.google.com/books?id=ZraJCgAAQBAJ&pg=PA195&q=%22Eleanor%20Luicime%20Compson%22 2020年8月27日閲覧。
- ^ Hollywood Walk of Fame; Retrieved 2017-01-19