ネリー・プンピード(Nery Pumpido, 1957年7月30日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルゼンチン代表であった。ポジションはゴールキーパー。
経歴
1976年、地元サンタフェ州のCAウニオンでデビューを果たす。その後、CAベレス・サルスフィエルドで2年間プレーした後、他のクラブへと移ったアルゼンチン代表GKのウバルド・フィジョールの穴を埋めるべくCAリーベル・プレートが獲得。1988年には活躍の場をヨーロッパへと移し、レアル・ベティスへと移籍した。そして、1991年に自身がキャリアをスタートさせたウニオンにて、現役を引退した。
アルゼンチン代表としては合計38試合に出場し、ワールドカップにも3度出場している。初のワールドカップとなる1982 FIFAワールドカップでは主にウバルド・フィジョールの控えだったが[1]、正GKとして臨んだ1986 FIFAワールドカップでは優勝を果たした[1]。1990 FIFAワールドカップでも正GKとして出場したが、開幕戦のカメルーン戦では自身のキャッチミスで失点を喫し[3]、第2戦のソ連戦では試合途中で味方選手と接触した結果脛の骨が完全に折れ曲がるほどの重傷を負い、合計2試合の出場に止まった[4] 。
個人成績
代表での成績
- 出典[2]
アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1983 | 3 | 0 |
1984 | 7 | 0 |
1985 | 1 | 0 |
1986 | 9 | 0 |
1987 | 1 | 0 |
1988 | 3 | 0 |
1989 | 6 | 0 |
1990 | 6 | 0 |
合計 | 36 | 0 |
脚注
- ^ a b c トヨタカップ 1986年 大会公式パンフレット p.16-17
- ^ a b “Pumpido, Nery”. National-Football-Teams.com. 2017年2月28日閲覧。
- ^ “Top 10 World Cup Goalkeeping Blunders”. goal.com. 2017年2月28日閲覧。
- ^ “Maradona Has Arm Maybe in Victory”. nytimes.com (1990年6月14日). 2017年2月28日閲覧。
外部リンク
- Career details at National Football Teams
- Managerial stats in the Argentine Primera(スペイン語)
- Futbol Factory profile (Archived)(スペイン語)
アルゼンチン代表 - 出場大会 |
---|
アルゼンチン代表 - 1982 FIFAワールドカップ |
---|
| |
アルゼンチン代表 - 1986 FIFAワールドカップ 優勝 (2回目) |
---|
| |
アルゼンチン代表 - コパ・アメリカ1989 第3位 |
---|
| |
アルゼンチン代表 - 1990 FIFAワールドカップ 準優勝 |
---|
| |
|