トマス・ペラム (第2代チチェスター伯爵)
第2代チチェスター伯爵 トマス・ペラム Thomas Pelham 2nd Earl of Chichester | |
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生年月日 | 1756年4月28日 |
出生地 | グレートブリテン王国・イングランド・ロンドン・スプリング・ガーデンズ(英語版) |
没年月日 | (1826-07-04) 1826年7月4日(70歳没) |
死没地 | イギリス・イングランド・ロンドン・ストラトン・ストリート(英語版) |
出身校 | ケンブリッジ大学クレア・カレッジ |
所属政党 | ホイッグ党→トーリー党 |
称号 | 第2代チチェスター伯爵、アイルランド枢密顧問官(英語版)(PC(Ire))、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | メアリー(旧姓オズボーン) |
親族 | 初代チチェスター伯(父) |
イギリス内務大臣 | |
内閣 | アディントン内閣 |
在任期間 | 1801年7月30日 - 1803年8月17日 |
イギリス庶民院議員 | |
選挙区 | サセックス選挙区(英語版) |
在任期間 | 1780年 - 1801年 |
アイルランド庶民院議員 | |
選挙区 | キャリック選挙区(英語版) クローガー選挙区(英語版) アーマー・バラ選挙区(英語版) |
在任期間 | 1783年 - 1790年 1795年 - 1798年 1798年 - 1799年 |
イギリス貴族院議員 | |
在任期間 | 1801年6月1日 - 1826年7月4日[1] |
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第2代チチェスター伯爵トマス・ペラム(英: Thomas Pelham, 2nd Earl of Chichester, PC, PC(Ire), FRS、1756年4月28日 - 1826年7月4日)は、イギリス及びアイルランドの政治家・貴族。
経歴
1756年4月28日、後にチチェスター伯爵に叙せられるトマス・ペラムとその妻アン(旧姓フランクランド)の間の長男としてロンドンのスプリング・ガーデンズ(英語版)に生まれる[2][3]。
ウェストミンスター・スクールを経てケンブリッジ大学クレア・カレッジへ進学し、1775年にマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得した[2][3]。
1780年から1801年にかけてサセックス選挙区(英語版)から選出されてイギリス議会の庶民院議員を務める。また1783年から1790年にかけてはキャリック選挙区(英語版)、1795年から1798年にかけてはクローガー選挙区(英語版)、1798年から1799年にかけてはアーマー・バラ選挙区(英語版)から選出されてアイルランド議会でも庶民院議員を務める[2][3]。
1783年にアイルランドの枢密顧問官(英語版)、1795年にイギリスの枢密顧問官に列する[2][3]。
1801年6月にはいまだ父が存命中ながら繰上勅書により第3代スタンマーのペラム男爵を継承して貴族院へ移籍した[3]。
1782年から1783年にかけては補給庁副長官(英語版)を務め、ついで1783年から1784年と1795年から1798年にかけてはアイルランド担当大臣(英語版)を務めた。1801年から1803年にかけてはヘンリー・アディントン(後のシドマス子爵)の内閣(英語版)で内務大臣、ついでランカスター公領大臣を務める[2][3]。
1805年1月8日に父の死により第2代チチェスター伯爵位を継承する。1807年から1826年までの長期にわたって郵政長官(英語版)を務めた[2][3]。
1826年7月4日にロンドンのストラトン・ストリート(英語版)で死去した[2]。
栄典
爵位・準男爵位
- 1801年6月、第3代カウンティ・オブ・サセックスにおけるスタンマーのペラム男爵(1762年創設グレートブリテン貴族爵位)
- 1805年1月8日、第2代チチェスター伯爵(1801年創設連合王国貴族爵位)
- 1805年1月8日、第7代カウンティ・オブ・サセックスにおけるロートンのペラム準男爵(1611年創設イングランド準男爵位)
家族
1801年7月、第5代リーズ公爵フランシス・オズボーンの娘メアリーと結婚し、彼女との間に以下の6子を儲ける[2]。
- 第1子(長男)ヘンリー・トマス・ペラム (1804-1886) : 第3代チチェスター伯爵
- 第2子(長女)アメリア・ローズ・ペラム (1806-1884) : ジョシュア・ジェブ(英語版)と結婚。
- 第3子(次男)フレデリック・トマス・ペラム(英語版) (1808-1861) : 海軍軍人。中将。
- 第4子(三男)ジョン・トマス・ペラム(英語版) (1811-1894) : イングランド国教会聖職者。ノリッジ主教(英語版)。
- 第5子(次女)キャサリン・ジョージアナ・ペラム (1814-1885) : ローザー・バリントンと結婚。
- 第6子(三女)アン・ペラム (1815-1901) : 第2代準男爵サー・デイヴィッド・バーネット・デュンダスと結婚。
脚注
出典
- ^ UK Parliament. “Mr Thomas Pelham” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Thomas Pelham, 2nd Earl of Chichester” (英語). thepeerage.com. 2015年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g "Pelham, the Hon.Thomas. (PLHN773T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Earl of Chichester(英語)
グレートブリテン議会(英語版) | ||
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先代 ジョージ・ヘンリー・レノックス卿(英語版) サー・トマス・スペンサー・ウィルソン(英語版) | サセックス選挙区(英語版) 選出庶民院議員 1780年 – 1801年(英語版) 同一選挙区同時当選者 ジョージ・ヘンリー・レノックス卿(英語版) (1780–1790) チャールズ・レノックス (1790–1801) | 次代 連合王国議会へ |
アイルランド議会 | ||
先代 ロバート・ティグ エドワード・キング | キャリック選挙区(英語版) 選出庶民院議員 1783年 – 1790年 同一選挙区同時当選者 ジョージ・サンドフォード(1783) エドワード・キング (1783–1790) | 次代 エドワード・キング ナサニエル・クレメンツ |
先代 サックヴィル・ハミルトン(英語版) リチャード・タウンゼンド・ハーバート | クローガー選挙区(英語版) 選出庶民院議員 1795年 – 1798年 同一選挙区同時当選者 リチャード・タウンゼンド・ハーバート | 次代 サー・ジョン・タイド初代準男爵 トマス・バー |
先代 ロバート・ホバート サックヴィル・ハミルトン(英語版) | アーマー・バラ選挙区(英語版) 選出庶民院議員 1798年 – 1799年 同一選挙区同時当選者 パトリック・デュイジーナン(英語版) | 次代 パトリック・デュイジーナン(英語版) ジェラルド・レイク(英語版) |
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
先代 グレートブリテン議会へ | サセックス選挙区(英語版) 選出庶民院議員 1801年(英語版) 同一選挙区同時当選者 チャールズ・レノックス | 次代 チャールズ・レノックス ジョン・フラー |
軍職 | ||
先代 チャールズ・フレデリック(英語版) | 補給庁副長官(英語版) 1782年–1783年 | 次代 ジョン・コートネイ(英語版) |
公職 | ||
先代 ウィリアム・ウィンダム(英語版) | アイルランド担当大臣(英語版) 1783年–1784年 | 次代 トマス・オード(英語版) |
先代 ミルトン子爵(英語版) | アイルランド担当大臣 1795年–1798年 | 次代 カスルリー子爵 |
先代 第3代ポートランド公爵 | 内務大臣 1801年–1803年 | 次代 チャールズ・フィップス・ヨーク(英語版) |
先代 第4代ホバート男爵 | 貴族院院内総務 1801年 – 1803年 | 次代 第2代ハークスベリー男爵 |
先代 初代リヴァプール伯爵(英語版) | ランカスター公領大臣 1803年–1804年 | 次代 初代マルグレイヴ男爵 |
先代 第4代アイルズフォード伯爵 | 近衛ヨーマン隊長 1804年 | 次代 第4代マクルズフィールド伯爵(英語版) |
先代 不詳 | 郵政長官(英語版) 1807年–1826年 | 次代 フレデリック・モンタギュー卿(英語版) |
イギリスの爵位 | ||
先代 トマス・ペラム | 第2代チチェスター伯爵 1805年–1826年 | 次代 ヘンリー・ペラム |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 トマス・ペラム | 第3代スタンマーのペラム男爵 (繰上勅書により父存命中に継承) 1801年–1826年 | 次代 ヘンリー・ペラム |
イギリスの内務大臣 | |
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