| ジャシント・キンコセス・ロペス | | |
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名前 |
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ラテン文字 | Jacinto Quincoces y López de Arbina |
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基本情報 |
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国籍 | スペイン |
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生年月日 | (1905-07-17) 1905年7月17日 |
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出身地 | バラカルド |
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没年月日 | (1997-05-10) 1997年5月10日(91歳没) |
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選手情報 |
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ポジション | DF |
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クラブ1 |
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
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1920-1931 | デポルティーボ・アラベス | 18 | (0) |
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1931-1942 | レアル・マドリード | 132 | (0) |
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代表歴 |
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1928-1936 | スペイン | 25 (0) | |
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ジャシント・キンコセス(Jacinto Francisco Fernández de Quincoces López de Arbina、1905年7月17日 - 1997年5月10日)は、スペイン・バラカルド出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。
経歴
故郷サン・アントニオでサッカーを始める。一度は契約を断られたが、デポルティーボ・アラベスに加入。アラベスではシリアコとDFコンビを組み、飛躍的な成長を遂げた。
アラベスで10年プレーした後、シリアコと共にレアル・マドリードへ移籍した。レアル・マドリードでは前年に移籍をしていたリカルド・サモラと共に世界最高と評された鉄壁の守備陣を形成[1]、移籍後初シーズンでは18試合で15失点に抑え、クラブ初となるスペインリーグのタイトルを無敗優勝という形で手にした。その後もリーグ連覇やコパ・デル・レイを獲得した。また、フェリックス・ケサダの退団した1936年よりキャプテンも務めたが、同年スペイン内戦のため1939年までプレー機会はなかった。
スペイン代表でもサモラ、シリアコと共に活躍し、1934 FIFAワールドカップでは大会最優秀DFに選ばれた[2]。
引退後は指導者としての道を歩み、自らがプレーしたスペイン代表やレアル・マドリードなどの指揮を執った。
所属クラブ
指導歴
獲得タイトル
脚注
- ^ ジャシント キンコセス レアル・マドリード公式サイト
- ^ フィル・ボール『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』野間けい子、ネコパブリッシング、2004年、122頁。ISBN 4-7770-5036-X。
外部リンク
スペイン代表 - 出場大会 |
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スペイン代表 - 1928 アムステルダム五輪 サッカー競技 |
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- GK イサギレ
- GK ハウレギ
- DF エラスティ
- DF キンコセス
- DF バジャーナ
- DF サルドゥア
- MF アリスコレタ
- MF ガンボレナ
- MF ゴンサレス
- MF ラバルタ
- MF レガレタ
- MF マルクレタ
- MF レゲイロ
- MF ビジャベルデ
- FW ビエンソバス
- FW チョリン
- FW キリキ
- FW マリスカル
- FW ビルバオ
- FW サガルサス
- FW ジェルモ
- 監督 パラゲス
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スペイン代表 - 1934 FIFAワールドカップ |
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典拠管理データベース: 国立図書館 | |
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