シャルル3世・ド・ロアン=ゲメネ

シャルル3世・ド・ロアン
Charles III de Rohan
ゲメネ公
モンバゾン公
在位 1699年 - 1727年

出生 (1655-09-30) 1655年9月30日
死去 (1727-10-10) 1727年10月10日(72歳没)
フランス王国ロシュフォール=アン=イヴリーヌ城(フランス語版)
配偶者 マリー・アンヌ・ダルベール・ド・リュイヌ
  シャルロット・エリザベート・ド・コシュフィエ
子女 一覧参照
家名 ロアン家
父親 ゲメネ公シャルル2世・ド・ロアン
母親 ジャンヌ・アルマンド・ド・ションベール
テンプレートを表示

シャルル3世・ド・ロアンCharles III de Rohan, 1655年9月30日 - 1727年10月10日[1])は、ブルボン朝時代フランスの貴族、廷臣。ゲメネ公、モンバゾン公爵。

生涯

ゲメネ公シャルル2世・ド・ロアン(1633年 - 1699年)と、フランス元帥アンリ・ド・ションベール・ド・ナントゥイユ(フランス語版)伯爵の娘ジャンヌ・アルマンド・ド・ションベール(1633年 - 1706年)の間の長男。曾祖父はエルキュール・ド・ロアン=モンバゾン、祖父はルイ8世・ド・ロアン=ゲメネ(フランス語版)である。1699年父の死に伴いゲメネ公位及びモンバゾン公爵位を相続、この他サント=モール(英語版)ラエ=コンテス(フランス語版)ヌアトル(英語版)の3伯爵領の領主でもあった[1]。1727年所有するロシュフォール=アン=イヴリーヌ城(フランス語版)で死去。

子女

1678年2月19日、リュイヌ公ルイ=シャルル(フランス語版)の娘マリー・アンヌ・ダルベール(1663年 - 1679年)と最初に結婚。彼女は大叔母シュヴルーズ公爵夫人の孫娘で、又従妹にあたったが、結婚の翌年死去した。

1679年11月30日、シャルロット・エリザベート・ド・コシュフィエ(1657年 - 1719年)と再婚、間に14人の子をもうけた。

  • シャルロット(1680年 - 1733年) - 1717年アントワーヌ・ド・コラン・ド・モルターニュ伯爵と結婚(1720年死別)、1729年ジャン・ド・クレキ・ド・カナル伯爵と再婚
  • ルイ=アンリ(1681年 - 1689年)
  • フランソワ=アルマン(フランス語版)(1682年 - 1717年) - モンバゾン公(prince de Montbazon)、1698年ルイーズ=ジュリー・ド・ラ・トゥール=ドーヴェルニュ[2]と結婚
  • アンヌ=テレーズ(1684年 - 1738年) - ノートルダム・ド・ジュアル修道院(英語版)院長
  • ルイ=アンリ(1686年 - 1748年) - ロシュフォール=アン=イヴリーヌ伯、僧籍
  • 女子「ロシュフォール姫」(1687年)
  • エルキュール=メリアデック(1688年 - 1757年) - ゲメネ公及びモンバゾン公爵
  • マリー=アンヌ(1690年 - 1743年) - パントモン修道院(英語版)院長
  • アンヌ(1690年 - 1715年) - 修道女
  • エリザベート(1691年 - 1753年) - サン=レジェ・ド・プレオー修道院(フランス語版)及びノートルダム・ド・マルケット修道院(フランス語版)院長
  • シャルル(1693年 - 1766年) - ロシュフォール公
  • アルマン=ジュール(1695年 - 1762年) - ランス大司教、枢機卿
  • シャルロット=ジュリー(1696年 - 1756年) - 修道女
  • ルイ=セザール=コンスタンタン(1697年 - 1779年) - ストラスブール司教、枢機卿

引用・脚注

  1. ^ a b van de Pas, Leo. "Charles de Rohan". Genealogics .org. 2010年4月7日閲覧
  2. ^ ブイヨン公ゴドフロワ・モーリス・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュマリア・アンナ・マンチーニの娘。
フランスの爵位
先代
シャルル2世・ド・ロアン
ゲメネ公
1699年 - 1727年
次代
エルキュール=メリアデック・ド・ロアン=ゲメネ
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
その他
  • IdRef