シモン・ヴーエ
シモン・ヴーエ Simon Vouet | |
---|---|
自画像 (リヨン美術館) | |
生誕 | (1590-01-09) 1590年1月9日 フランス王国・パリ |
死没 | (1649-06-30) 1649年6月30日(59歳没) フランス王国・パリ |
著名な実績 | 絵画 |
代表作 | 『若さと美に打ち負かされる時間の翁』 |
運動・動向 | バロック絵画 |
後援者 | ルイ13世、リシュリュー |
影響を受けた 芸術家 | アンニーバレ・カラッチ、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、マニエリスム、パオロ・ヴェロネーゼ、グエルチーノ、グイド・レーニ |
影響を与えた 芸術家 | シャルル・ルブラン |
シモン・ヴーエ(Simon Vouet、フランス語: [vwɛ]、1590年1月9日 - 1649年6月30日)は、フランスの画家。今日ではイタリアのバロック絵画をフランスに伝えた人物として知られている。
略歴
パリに生まれた[1]。父親は画家で弟のオーバン(Aubin Vouet, 1595年 – 1641年)も画家になった。
父親から美術を学び、肖像画家から画家のキャリアを始め、14歳の時イギリスで仕事をし、1611年にはオスマン帝国へ赴任するフランス大使アシル・ド・アルレ・ド・サンシー(フランス語版)に同行した。イスタンブールからの帰途、1612年にヴェネツィア、1614年までにはローマを訪れ、1627年までローマなどイタリアに滞在した。
フランス国王からは邸を与えられ、イタリアの有力者たちがパトロンとなり、イタリア各地を訪れた。イタリアの画家たちの優れた点を吸収し評価を高め、1624年にはアカデミア・ディ・サン・ルカの会長に選ばれた。1626年に結婚した。
ローマでの成功にもかかわらず、1627年にフランス王の召還とベテュヌ公(Duc de Béthunes)の助言でフランスに帰国した。さまざまな宮殿、邸宅、教会の装飾画を描き、イタリア美術の新しいスタイルをフランスにもたらした。
弟子にシャルル・ルブラン、ヴァランタン・ド・ブーローニュ、シャルル=アルフォンス・デュ・フレノワ、ピエール・ミニャール、ウスタシュ・ル・シュウール、ニコラ・シャペロン、クロード・メランらがいる。
作品
- Les Anges portant les instruments de la Passion
- 十字架
- Saturn, Conquered by Amor, Venus and Hope
- 『ギターを弾く女性』(1618年頃)、 メトロポリタン美術館 (ニューヨーク)
-
- 『ロトとその娘たち』(1633年)、 ストラスブール美術館 (ストラスブール)
-
- The Rape of Europa
- Venus and Adonis
- Madonna and Child
- The Penitent Magdalen
- Heavenly Charity
参考文献
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、シモン・ヴーエに関連するカテゴリがあります。
- Online Vouet Gallery at MuseumSyndicate
- 10点掲載しているシモン・ヴーエの絵画作品 - Art UK
- Simon Vouetに関連する著作物 - インターネットアーカイブ