ウィリアム・グラハム (第2代モントローズ公爵)

第2代モントローズ公爵、1755年。

第2代モントローズ公爵ウィリアム・グラハム英語: William Graham, 2nd Duke of Montrose1712年8月27日 - 1790年9月23日)は、イギリスの貴族。

生涯

初代モントローズ公爵ジェームズ・グラハムと妻クリスチャン(旧姓カーネギー、1744年5月25日没、第3代ノーセスク伯爵デイヴィッド・カーネギーの娘)の息子として、1712年8月27日にグラスゴーで生まれた[1]。1723年8月より弟ジョージ(英語版)とともにデヴィッド・マレット(のちに劇作家になる)の教育を受けた[1]。マレットが随行する形でグランドツアーに出た後、1730年5月よりイギリス陸軍に入るが、1731年9月30日に兄デイヴィッドが死去すると、グラハム伯爵位を継承、同時に軍務から引退した[1]。1734年1月17日、貴族院に初登院した[1]

1742年1月7日に父が死去すると、モントローズ公爵位を継承した[1]。1743年にグラスゴー大学総長(英語版)に選出された[2]1745年ジャコバイト蜂起で政府を支持し、蜂起を受けて制定されたスコットランド世襲的司法権廃止法(英語版)に基づき5,578ポンドを受け取った[1]

領地管理ではスコットランド各地に散らばる領地を売却して、その代わりスターリングシャーで領地を購入するという形で領地を1か所に集中させた[1]

1780年12月13日付の手紙で老齢を理由としてグラスゴー大学総長を辞し、息子ジェームズが後任となった[2]。1790年9月23日にトゥイッケナムで死去、アバリーヴェン(英語版)で埋葬された[1]。息子ジェームズが爵位を継承した[1]

家族

1742年10月28日にルーシー・マナーズ(Lucy Manners、1717年ごろ – 1788年6月18日、第2代ラトランド公爵ジョン・マナーズの娘)と結婚、2男1女をもうけた[1]

  • 男子(1745年1月20日 – 1745年1月20日) - 夭折[1]
  • ルーシー(1751年7月28日 – 1780年2月13日) - 1771年6月13日、初代ダグラス男爵アーチボルド・ダグラスと結婚、子供あり[1]
  • ジェームズ(1755年9月8日 – 1836年12月30日) - 第3代モントローズ公爵[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Paul, James Balfour, Sir, ed. (1909). The Scots Peerage (英語). Vol. VI. Edinburgh: David Douglas. pp. 265–268.
  2. ^ a b “William Graham 2nd Duke of Montrose” (英語). The University of Glasgow Story. 2019年4月17日閲覧。
学職
先代
初代モントローズ公爵
グラスゴー大学総長(英語版)
1743年 - 1780年
次代
ジェームズ・グラハム
スコットランドの爵位
先代
ジェームズ・グラハム
モントローズ公爵
1742年 - 1790年
次代
ジェームズ・グラハム
グレートブリテンの爵位
先代
デイヴィッド・グラハム
グラハム伯爵
1731年 - 1790年
次代
ジェームズ・グラハム
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