インナー・ワールド 内深界
『インナー・ワールド 内深界』 | ||||
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マハヴィシュヌ・オーケストラ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1975年 | |||
ジャンル | フュージョン | |||
時間 | ||||
レーベル | Sony Records | |||
プロデュース | マハヴィシュヌ・オーケストラ デニス・マッケイ | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
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マハヴィシュヌ・オーケストラ アルバム 年表 | ||||
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『インナー・ワールド 内深界』(原題:Inner Worlds)は、マハヴィシュヌ・オーケストラ[2]の6枚目のアルバムである。
1975年、ヴァイオリニストのジャン・リュック・ポンティとキーボーディストのゲイル・モランがバンドを去った。その後、ステュ・ゴールドバーグがモランの後釜として参加した。公式に録音されたアルバムは存在していないが、かつてこの第2期マハヴィシュヌ・オーケストラには、ノーマ・ジーン・ベル、キャロル・シュライヴ、ラッセル・スタブズ、スティーヴ・キンドラーらが在籍していた。この顔ぶれで数回慌ただしくリハーサルを行った後、バンドはジェフ・ベックと一緒にツアーに出ている。ツアー終了後、マクラフリンはバンドのメンバーを削り、彼自身を含めたカルテットとした。すなわち、マクラフリン、ゴールドバーグ、ウォルデン、アームストロングである。そして本アルバムの録音を行った[3]。
このアルバムを最後に、10年近く「マハヴィシュヌ・オーケストラ」としてはアルバムは出ないことになる。この後、同バンド名義でのアルバムが発売されるのはジョン・マクラフリンがバンドを再結成する1984年のことである。
「惑星民(Planetary Citizen)」は初期のヒップ・ホップのDJ達とプロデューサー達にしばしば流用された。というのも、曲中のドラムのブレイクとボーカルが印象的なものだったからである[要出典]。
ボーカルを流用した事例の一つとして、「マッシヴ・アタック」の「アンフィニッシュト・シンパシー」が挙げられる。
収録曲
- オール・イン・ザ・ファミリー – "All in the Family" – 6:02
- マイルス・アウト – "Miles Out" – 6:44
- イン・マイ・ライフ – "In My Life" – 3:22
- ギータ – "Gita" – 4:29
- モーニング・コールズ – "Morning Calls" – 1:23
- 天露歴程 – "The Way of the Pilgrim" – 5:15
- わが心の河 – "River of My Heart" – 3:41
- 惑星民 – "Planetary Citizen" – 2:14
- 忘憂樹の台座 – "Lotus Feet" – 4:24
- 内深界 – "inner Worlds Part1&2" – 6:37
参加ミュージシャン
- ジョン・マクラフリン (John McLaughlin) – ギター、ボーカル
- ステュ・ゴールドバーグ(Stu Goldberg) – オルガン、ピアノ、キーボード、ボーカル、クラヴィネット、ミニムーグ
- ラルフ・アームストロング(Ralphe Armstrong) – ベース
- ナラダ・マイケル・ウォルデン(Narada Michael Walden) – パーカッション、ピアノ、コンガ、ドラム、マリンバ、ボーカル、ティンパニ、シェーカー
チャートランキング
- アルバム
ビルボード (北米)[4]
年 | チャート | 順位 |
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1976 | ジャズ・アルバム | 24 |
1976 | ポップ・アルバム | 118 |
脚注
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ジョン・マクラフリン | ヤン・ハマー | ジェリー・グッドマン | リック・レアード | ビリー・コブハム | ゲイル・モラン | ジャン=リュック・ポンティ | ナラダ・マイケル・ウォルデン | ダニー・ゴットリーブ | ミッチェル・フォアマン | ビル・エヴァンス | ジム・ビアード | ヨナス・エルボーグ | |
ディスコグラフィ | 内に秘めた炎 (1971年) | 火の鳥 (1973年) | 虚無からの飛翔 (1973年) | 黙示録 (1974年) | エメラルドの幻影 (1975年) | インナー・ワールド 内深界 (1976年) | マハヴィシュヌ (1984年) | アドヴェンチャーズ・イン・ラジオランド (1987年) | ザ・ロスト・トライデント (1999年、1973年録音) |