アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ (Alexandre Tadeu Gallo、1967年 5月29日 - )は、ブラジル ・サンパウロ州 リベイラン・プレト 出身の元サッカー選手 、サッカー指導者。
来歴 選手時代 厳しいマークを得意とする潰し屋タイプのボランチで[2] 、19歳の時にボタフォゴ-SPでプロ入りして以来ブラジル国内のクラブでキャリアを重ね、所属した全てのチームでキャプテンを務めた[1] 。
1992年からサントスFC に在籍。同クラブにおける1995年の全国選手権・準決勝 フルミネンセ 戦は現役時代で最も思い入れのある試合であり[2] 、また同選手権のパルメイラス 戦は、カフー 、アントニオ・カルロス・ザーゴ 、リバウド 、エジウソン 、ミューレル を擁する相手に1-0で勝利した最もハードな試合だったと述べている[3] 。
1999年にヴァウディールとのトレードで移籍したアトレチコ・ミネイロ では、特にギリェルメ と親しかった[3] 。
指導者時代 2002年 から指導者としての活動を始め、カルロス・アルベルト・パレイラ の下でアシスタントコーチを務めた。その後もヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ に師事するなど国内でキャリアを重ね、2005年 にはポルトゥゲーザ において監督に就任[1] 。同年、ルシェンブルゴから自身が監督を務めるレアル・マドリード のコーチ就任を打診されたが固辞している[4] 。
2006年 、Jリーグ ・FC東京 の監督に就任[1] 。自身初の海外指導経験であり、FC東京にとってもクラブ初の外国籍監督(日本人コーチ登用の容認、クラブの歴史と方針への理解、予算の3条件を満たす指導者から選出[5] )だった。ガーロはボール保持率を高めて [6] [4] 短いパスで相手を崩すサッカーを志向し、選手やクラブ首脳から好意的に受け止められていたが[5] 、Jリーグ参入以前よりカウンター や速攻 で結果を残してきたチームには、ガーロの戦術を熟成させるための土台が乏しく[5] 結果が思うように出ない中でチームに迷いが生じた。さらに負傷離脱選手の続出や3バックへのシステム変更なども伴ってチームは混迷。ある程度の勝ち点は積み重ねたものの、試合内容についてサポーターからも批判の声が挙がるようになり、同年8月には監督を解任された[6] 。ガーロの前任監督であった原博実 は、チームのマジメさが裏目に出た。ガーロは慎重に指揮していたが、思い切り良く開き直らせた方が良かったと評している[7] 。
ブラジルへ帰国後、2007年4月にブラジルのSCインテルナシオナルの監督に就任。同年のレコパ・スダメリカーナ を制した。その後、フィゲイレンセFC 、アトレチコ・ミネイロ でそれぞれ監督として指揮を取った。2009年にはECバイーアで監督を務めている。
2013年 、ブラジルサッカー連盟 (CBF)の育成部コーディネーターとしてU-20及びU-17のブラジル代表監督に就いた[8] 。同年のトゥーロン国際大会 ではU-20代表を優勝に導いた。2014年には同大会を連覇。2016年開催のリオデジャネイロオリンピック に臨むU-23代表監督として予定されていたが、ワールドカップ 以降にCBF入りしたドゥンガ やジルマール と意見を違えたことや[9] 2015年南米ユース選手権 を4位に終わったことによって批判が強まり[10] 、同年5月に退任[11] 。
2016年秋以降のアメリカ滞在及び[12] イングランドやスペイン等での視察を経て[13] 、2017年6月にデヤン・ペトコヴィッチ (ペトコヴィッチは2008年のアトレチコ・ミネイロにおいて選手としてガーロの指揮下にあった)から指名され[14] 、ECヴィトーリア 監督に就任[15] 。
個人成績 国内大会個人成績 年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 期間通算 出場 得点 出場 得点 出場 得点 ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 期間通算 1986 (pt ) ボタフォゴ-SP SP1部 1987 (pt ) 1987 (pt ) セリエB 1988 (pt ) SP1部 1988 (pt ) セリエB 1989 (pt ) SP1部 1989 (pt ) セリエB 1990 (pt ) SP1部 1990 (pt ) セリエB 1991 (pt ) 1991 (pt ) ヴィトーリア BA1部 3 0 2 0 5 0 1992 サントス セリエA 1992 (pt ) SP1部 1993 (pt ) 1993 セリエA 1994 (pt ) SP1部 1994 セリエA 1995 (pt ) SP1部 1995 セリエA 1996 (pt ) SP1部 1996 ポルトゥゲーザ セリエA 25 2 1997 (pt ) グアラニ SP1部 1997 サンパウロ セリエA 1998 (pt ) 8 SP1部 1998 セリエA 1999 (pt ) ボタフォゴFR RJ1部 1999 アトレチコ-MG セリエA 2000 (pt ) MG1部 2000 アズール(セリエA) 2001 (pt ) コリンチャンス 5 SP1部 2 0 2001 セリエA 通算 ブラジル セリエA ブラジル セリエB ブラジル 州選手権 総通算 17 2
https://web.archive.org/web/20100916075514/http://futpedia.globo.com/jogadores/gallo 参照
その他の国際公式戦 スーペルコパ・リベルタドーレス1992 (en ) スーペルコパ・リベルタドーレス1993 (en ) スーペルコパ・リベルタドーレス1994 (en ) スーペルコパ・リベルタドーレス1995 (en ) スーペルコパ・リベルタドーレス1997 (en ) 指導歴 2011年、アル・アインFC 監督時。 アシスタントコーチ 監督 監督成績 タイトル クラブ サンパウロFC アトレチコ・ミネイロ SCコリンチャンス・パウリスタ 監督 スポルチ・レシフェ SCインテルナシオナル フィゲイレンセFC U-20ブラジル代表 トゥーロン国際大会 (2013 , 2014) ヴァレーユースカップ (2013) Copa 2 de Julho de Futebol Sub-17 (2013) アルクディア国際ユースサッカートーナメント (pt:2014 ) 武漢国際トーナメント (2014)[20] 脚注 ^ a b c d e ガーロ氏 来季監督就任のお知らせ - ウェイバックマシン (2006年5月5日アーカイブ分) FC東京 2005.12.20 ^ a b 『FC東京ファンブック2006』毎日新聞社 、2006年、62-68頁。 ^ a b Gallo lembra quando doença contagiosa parou Vasco de Juninho Pernambucano: 'Ficaram morrendo de medo' ESPN (2017年2月17日)(ポルトガル語) ^ a b 霜田参謀帖 レアルのコーチ要請断り、日本で挑戦 - ウェイバックマシン (2006年10月29日アーカイブ分)東京中日スポーツ (2006年3月5日) ^ a b c 『Jリーグサッカーキング 2013年6月号』朝日新聞出版 、2013年、55-56頁。 ^ a b アレッシャンドレ ガーロ監督解任のお知らせ - ウェイバックマシン (2006年8月22日アーカイブ分) FC東京 (2006年8月15日) ^ 西部謙司『最も愛される監督 原博実』出版芸術社 、2007年、36-37頁。 ^ Gallo é o técnico da Seleção Brasileira Sub-20 ブラジルサッカー連盟 (2013年1月29日)(ポルトガル語) ^ 『サッカー批評 86』双葉社 、2017年、78-81頁。https://www.futabasha.co.jp/book/97845754569050000000?type=1 。 ^ ブラジル、サッカー五輪代表再編成のピンチ フランス通信社 (2015年2月13日) ^ Técnico Alexandre Gallo deixa a CBF ブラジルサッカー連盟 (2015年5月8日)(ポルトガル語) ^ Gallo admite mágoa, e elege culpado por demissão da seleção olímpica TORCEDORES (2017年1月8日)(ポルトガル語) ^ 'Tenho que ser o melhor Alexandre Gallo de todos os tempos', diz novo técnico do Leão CORREIRO (2017年6月5日)(ポルトガル語) ^ Gallo é apresentado no Vitória: “Vontade gigantesca de trabalhar” Globo esporte(ポルトガル語) ^ GALLO É O NOVO TÉCNICO DO VITÓRIA ECヴィトーリア (2017年6月4日)(ポルトガル語) ^ Alexandre Gallo – que já conquistou títulos no comando de Sport, Internacional, Figueirense, Al-Ain e nos SUB20 e 21 da Seleção – é o novo técnico da Ponte Preta AAポンチ・プレッタ (2016年2月22日)(ポルトガル語) ^ Gallo é desligado do comando da Ponte; chefe de preparação física da Macaca também deixa o departamento de futebol AAポンチ・プレッタ (2016年4月15日)(ポルトガル語) ^ Alexandre Gallo não segue no Náutico クルーベ・ナウチコ・カピバリベ (2016年9月4日)(ポルトガル語) ^ a b c d e f g h i j k l m Estatísticas (archive) 公式ウェブサイト ^ Wuhan International Youth Soccer Tournament (U-22) 2014 RSSSF 関連項目 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ に関連するカテゴリがあります。
公式ウェブサイト(ポルトガル語) アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ - Soccerway.com (英語) アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ - FootballDatabase.eu (英語) アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ - WorldFootball.net (英語) アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ - Transfermarkt.com による選手データ (英語) アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ - Transfermarkt.com による指導者データ (英語) アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ - J.League Data Site による監督データ Gallo - zerozero.pt(ポルトガル語) プロフィール (2006年) - ウェイバックマシン (2006年6月19日アーカイブ分) - FC東京 プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン (2007年7月10日アーカイブ分) - SCインテルナシオナル(ポルトガル語) プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン (2008年4月1日アーカイブ分) - フィゲイレンセFC(ポルトガル語) 1980年代 1990年代 90: アイマール (es ) 91: クビジャ 92: ミルコ・ヨジッチ (en ) 93: サンタナ 94: サンタナ 95: ブリンディシ (en ) 96: スコラーリ 97: ピアッツァ (en ) 98: クルピ 99: † 2000年代 2010年代 †は中止となった大会
U-20サッカーブラジル代表歴代監督
デ・マセド 1977 トラヴァリーニ (pt ) 1979 ヴァヴァ 1981 J.ペレイラ (en ) 1983 ヌネス (en ) 1985-87 シモンエス (en ) 1988-89 E.パウロ (pt ) 1991-92 M.マキシモ (en ) 1992-93 J.レアル 1993-95 バローゾ (it ) 1997 S.ファリアス 1998-99 J.カルロス 1999 C.セザル (pt ) 2001 S.ファリアス 2001 ヴァリーニョス (en ) 2001-03 パケタ (en ) 2003 ウェベル (en ) 2004-05 N.ホドリゲス (it ) 2006-09 ロウレンソ (en ) 2009-10 L.アントニオ (en ) 2010-11 N.フランコ (en ) 2011-12 アヴィラ (en ) 2012-13 ガーロ 2013-15 ミケーレ2015-
ブラジル代表 - 指導歴 U-20ブラジル代表 - 第41回トゥーロン国際大会 優勝(7回目)
U-21ブラジル代表 - 第42回トゥーロン国際大会 優勝(8回目)
U-17ブラジル代表 - 2013 FIFA U-17ワールドカップ
U-20ブラジル代表 - 2015 南米ユース選手権