この人を

ポポンタイム この人を
1957年10月から番組の収録が行われていた読売会館
ジャンル トーク番組
出演者 秋元喜雄
金原二郎
早川元二
製作
制作 日本テレビ
放送
映像形式モノクロ放送(1959年7月14日まで[1]) → カラー放送(1959年7月21日から[2]
放送国・地域日本の旗 日本
月曜夕方時代
放送期間1956年12月3日 - 1958年8月25日
放送時間月曜 18:15 - 18:45
放送分30分
火曜ゴールデンタイム時代
放送期間1958年9月2日 - 1962年5月29日
放送時間火曜 19:00 - 19:30
放送分30分
日曜プライムタイム時代
放送期間1962年6月3日 - 9月16日
放送時間日曜 22:30 - 23:00
放送分30分
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ポポンタイム この人を』は、日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のトーク番組である。塩野義製薬一社提供。全300回。製作局の日本テレビでは1956年12月3日から1962年9月16日まで放送。当初はモノクロ放送だったが、1959年7月21日からカラー放送となっている[2]

概要

さまざまな事情から日の目を見なかった善行者や同情に値する人々などにスポットを当てていた番組で、彼らを招いての対談を行っていた[3]

番組は、第三者が推薦するそのような条件に合う人のもとを訪れ、その人物の日常をフィルムに収めて紹介。そして本人を推薦者ともども番組の収録現場に招き、司会者との対談に入った。そして彼らにクイズを出して解かせ、正解なら賞金を出した[4]。当時はまだテレビ以外の手法ではできなかった、テレビだけに可能な大衆参加の新しい形を示した[4]

収録は、当初は首都圏にある公会堂で行われていたが、1957年10月からは同年5月に竣工した読売会館のTVホールで行われていた[5]

神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには、放送第219回の記録映像が保存されている[3]

放送時間

いずれも日本標準時

  • 月曜18:15 - 18:45 (1956年12月3日 - 1958年8月25日)
  • 火曜19:00 - 19:30 (1958年9月2日 - 1962年5月29日)
  • 日曜22:30 - 23:00 (1962年6月3日 - 9月16日)

歴代司会

  • 秋元喜雄(河井坊茶[5]:本名で出演。
  • 金原二郎(当時日本テレビアナウンサー)[5]
  • 早川元二(児童心理学者)[3]

脚注

  1. ^ 朝日新聞 1959年7月14日朝刊 P.5 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ a b 朝日新聞 1959年7月21日朝刊 P.7 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ a b c “検索結果 ポポンタイム この人を〔219〕 - 放送ライブラリ公式ページ”. 放送ライブラリー. 2016年6月18日閲覧。
  4. ^ a b 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、92頁。NDLJP:11954641/59。 
  5. ^ a b c 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、430 - 451頁。NDLJP:11954641/231。 
日本テレビ系列[要出典] 月曜18:15枠
前番組 番組名 次番組
轟先生(月曜日)
※18:15 - 18:45、月曜18:45枠へ移動
NTV国際ニュース
※18:25 - 18:30、月曜18:55枠へ移動
ジャングル・ジム
※18:30 - 19:30
ポポンタイム この人を
(1956年12月3日 - 1958年8月25日)
デン助お笑い劇場
日本テレビ系列 火曜19:00枠
NTVニュースフラッシュ(火曜日)
※19:00 - 19:10、火曜18:45枠へ移動
あしたのお天気(火曜日)
※19:10 - 19:15
でかんしょ武士
※19:15 - 19:30
ポポンタイム この人を
(1958年9月2日 - 1962年5月29日)
スターと共に サンヨーキータッチショー
日本テレビ系列 日曜22:30枠
部長刑事
※海外ドラマ
ポポンタイム この人を
(1962年6月3日 - 9月16日)
C調紳士録
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